ずる家ニュース《番外編》

39歳になった。



今までの人生を振り返って見て…



去年のわかは、



誇れる一生の思い出が出来た。



そんな、わかを見ていて、



自分にも、



たった一つ、



誰に負けない誇れる一生の思い出がある。



それは、



SBC杯 高校サッカー選手権


長野県大会


県大会 準決勝


平成元年11月11日


VS松本県ヶ丘高校


前後半(0−0)PK(2−4)敗退



1日でも長く高校サッカーを続けたい。



心の奥から、体の隅々から、思いが純粋に湧き上がった。



そんな、気持ちになれた。



一生の思い出(宝物)になった。



22年前の自分を昨日の事のように鮮明に思い出せる。



選手権まで続けることを決めた3年生は4人だった。



自分以外の3年生は主力選手。



大会が近づくに連れて毎日、挫折感が増して行った。



タバコも沢山、吸うようになった。



当時の信州工業は強いと何となく感じていたから。



挫折感は、あったが、



でも、



何か出来ることがないか、ぼんやり探していた。



一生懸命にタマ拾いをした。



攻撃陣の主力メンバーがフォーメーションやセットプレーから得点を狙う練習の中、マーカー役で守備陣の人数合わせで使ってくれた。



楽しかった。



大会の選手登録は18名で18番のユニフォームをもらった。



ユニフォームをもらった時、嬉しいとか、みじめとかは無く無感情だった。



選手権 中信地区大会が始まった。



信州工業はシード校で2回戦から出場。



自分は大会に対して他の選手達とは温度差があった。



VS阿南高校



後半の途中から使ってくれた。



ちょっと嬉しかった。



試合は勝利、終了と同時に自分の中の高校サッカーは終了していた。



中信地区大会


準々決勝


VS松商学園



選手権 県大会初出場のかかった試合だった。



試合当日の朝、タバコを2本、吸った。



自分は、もう、関係ないと思っていたから。



試合会場は、豊科高校。



高校の敷地内で芝生の上に座りスターティングメンバー発表をした。



『瀧本。』



役割を与えられた。



『相手のゲームメーカーを自由にプレーさせるな。』



一瞬、理解できなかった。



頭の中が後悔と緊張で、ぐちゃぐちゃになった。



試合が始まった。



必死でプレーをした。



試合中、親父と、かっちゃん達が応援に来てくれた事に気づいた時、



体力が復活した。



不思議だった。



試合は、



2−1逆転勝利。



選手権 県大会初出場の快挙だった。



この試合から、



変わった。



タバコを止めた。



試合に出たい。



練習が足りない。



毎日、自主トレに後輩が付き合ってくれた。



自分でも短期間で、上達して行く感覚があった。



当時の松商学園は大会前から優勝候補で国体選手が沢山、出ていた。



自転車で、わざと学校の前を通った。



『下手な自分は、まだ高校サッカーを続けているぞ。』心で叫んだ。優越感が気持ちよかった。



県大会を勝ち進んでいる間、



毎日の生活や練習がとても幸せに感じた。



試合前日、



監督から言われた。



『県ヶ丘高校戦で瀧本が、得点をする。』



単純だったから。



嬉しくて涙が出た。



いよいよ試合当日。



アップ中、右手のケガをしてしまった。



みるみる腫れてきて、普通の痛みじゃなかった。



痛みで、まったく集中できなかった。頭が、ぼーっとして試合は、いつの間にか始まっていたような感覚だった。



前半、



まったくイメージしていたプレーはできなかった。



後半、



今度は、左足のケガをしてしまった。
歩くことが出来きず、
必死でコートから出た。



途中交代、



心も体もぼろぼろに、なった気がした。



PKで敗戦。



自分に悔しくて涙が出なかった。



後輩が泣きじゃくっているのを見て、涙が止まらなくなった。



自分では動けなくなった体を後輩が、おぶって記念写真の撮影場所まで連れて行ってくれた。



一番、遅れて来た自分の場所をみんなは開けて待っていてくれた。



ど真ん中が開けてあった。



それから、しばらく毎晩、泣いた。



かっちゃんも連れて泣いた。



全国高校サッカー選手権大会も終わって、



1秒1秒、命がけになれた自分の高校サッカーは、



完全燃焼4800秒だったと、



今も心から誇れる。